[第10話] 山原健二郎氏
[プロフィール]
大正9年8月高知県本山町生まれ。新聞記者、高校教諭を経て、昭和44年に衆議院議員に初当選。以来30年間、国政の場で活躍した。歌集に「南の熱き炎」。
平成15年、癌との闘病後、ご逝去。享年83歳。
石鎚と剣をむすぶ新雪の
四国連山におい立ちたり
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石鎚と剣を結ぶ・・・
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南の熱き炎
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居酒屋「とんちゃん」
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タブの木
◆山原健二郎氏の【
四万十川百人一首】
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■上林暁のこと
上林暁のことを申し上げたいと思います。
上林暁は、ご存知のように大方町(現黒潮町)の出身でございまして、これもみなさんよくご承知だと思いますが、大方町には川端康成の筆による生誕の地という碑ができております。そこに彼の自筆の文章が出ていますね。
「梢に咲いてゐる花よりも、地に散ってゐる花を美しいと思ふ」と。
梢に咲いた花もきれいだけれども、それよりも地べたに散っている花の方がきれいだと思う、という上林の心境が出ているのでございます。
繁子さんという奥さんが一種の精神不安定の病気で7年、看護をするのですが、その結果亡くなるのでございます。ところが上林も・・・、本人はこう書いております
『常に不遇でありたい。そして常に開運の願いを持ちたい』と。
いつでも私は不遇でいいと、不遇を克服するその道を書きたいんだ、ということですね。
上林暁の小説というのは、私(わたくし)小説と呼ばれています。日本でたった一人の私小説の作家だという人もおりますが、この上林の『常に不遇で・・・』はやはり大きな重みを持っているということがおわかりになると思います。
そして彼が脳卒中になりまして、手が動かん、身体が動かん、そういう状態になりましたときにも、陸子さんという妹さんが、「私は彼の右手になる」ということを宣言しまして、彼の書いたものを、何を書いておるか分からんものを書くような状態で・・、必死になって身体をゆがめて書いているのです。それをみながら「私はそれを筆写する。右手になる」ということでございます。
そういう上林暁にまつわる女性のエピソードがあります。「兄の手になる」これはこの妹さんにとっては、すごい「たたかい」だったと思います。
◆上林暁氏の【
四万十川百人一首】
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[リレー・エッセー] 第11話 予告
■炭焼き昔日・・
次回は、四万十川の薀蓄を語らせたら、四万十太郎氏と東西の横綱を張るであろう溝渕幸三(山川海幸雨)氏の登場です。
「沈下橋」に限れば、氏の右に出る人はなく、高知県の四万十川担当部署も1目も2目も置いているところです。
この度は、「沈下橋」のお話ではなく、「炭焼き昔日・・」から「山の保水力」について語ってくれます。