[第12話] 西村健一氏
プロフィール
零細企業の親父です。常に前向きに生きています。1人でできる市民運動「コミュニティFM」「ホームページ」とコミュニティ運動をしています。仕事の合間に「寸暇を惜しんで」しています。
企画や行事の工程管理や現場監督は得意分野です。
お金を生み出すことは不得意ですが、お金を使って人々を喜ばせることは大変得意です。
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■中村の人達の心遣い
現在は四万十(しまんと)市となってしまった高知県中村。昨日は仕事で予定時間より早くついたこともあり、初めて、一条神社を散策しました。
もともと中村は、応仁の乱を逃れた京都の公家である一条兼平の一族が定住し、切り開いた町だといいます。言われて見たら土佐弁は荒々しい方言なのに対し、中村付近の幡多弁はやさしい言葉遣いでありますね。京訛なのだろう。
中村は小京都といわれている。日本各地には小京都がある。山口県の萩もそうです。見たことはありませんが中村では京都の大文字焼のような山焼きもあるようです。
一条氏は四国を一時平定した長宗我部氏により滅ぼされ、九州に領主は追いやられます。当時の、中村の人たちは果敢に戦ったそうです。
やがて時代は移り江戸の世になり、長宗我部氏は滅び、後の領主になった山内氏は、中村に領主の親戚を配置し、重要拠点として、中村は発展したそうです。
江戸末期に、その山内氏の分家は途絶えたそうですが、その後、一条氏が中村を去る前に植えた藤が300年花が咲かなかったのが咲いたそうです。それで、地元の有力な庄屋が寄進し、一条氏を慕う中村の人たちにより一条神社が出来たそうです。
やはり先進文化を教えてくれた恩人を中村の人たちは忘れなかったのでしょう。今や一条神社の祭りは土佐3大祭りとして認知されています。
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四万十川新聞【日曜版】(土佐中村の花・藤)
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土佐の小京都・中村
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[中村の踊り歌]
◆中村ぞめき
中村よいとこ
一條公(イチジョコ)さまが
今に残せし小京都
中村美人が待っちょる
待っちょる美人がハイカラさん
(「ぞめき」とは「どんちゃんさわぎ」という意味で、この踊りは、宴席の最初と最後に踊るのが通例だったそうです。現在「なかむら踊り」で踊られることはありませんが、地区のお祭りでは、今でもこの「中村ぞめき」を踊っているところがあるようです。
なお、山藤花氏が住まいする「百笑」は、「どめき」と言います。何の関係もないけれど・・・。)
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ふるさと(なかむら踊り) 四万十川の文化人「小谷貞広」
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[リレー・エッセー] 第13話 予告
■最後の清流四万十川
次回は、遠藤裕之氏です。氏は神奈川県出身。岩手大学を卒業後、平成6年に高知県の自然に憧れ、高知県庁に就職しました。
平成9年海外青年協力隊員としてメキシコへ派遣され、2年間現地の山奥で苗木の育成、植林技術など森林の造成を指導しました。現在は高知県庁を辞め、愛知県にお住まいです。
都会育ちの遠藤さんが、何故、四万十川の自然に関心を持ち、高知県庁に就職することになったのか、という少年の日の思い出です。NHKのテレビ放送に関っています。
【写真】
NHKラジオドラマ「四万十川あつよしの夏」の収録風景