■四万十川改修工事の巻<其の6>
[四万十川で土木工事の監督をする:5日目]
嘉永三年の冬・天気:まずまず晴れ
昨日は、予告通り、作業は休みにした。
そのかわり、で、今朝なんだけど、やっぱり、みんな遅刻してきた。拙者は30分前には現場に行って、焚き火をしたりして、みんなが集まるのを待っていた。
1時間して、ようやく集まった。
「えーっと、みなさん。今日は、大目に見ますけど明日からは、遅刻をしたら、減棒といたしますぜよ。そこんとこ、よろしく!」
案の定、皆は、えええーっと言ったので、
「はい、みなさんの言うことはごもっともです。拙者も、おととい、寝坊してしまいました。この時期、早起きをするのが、どんなにつらいか、よーくわかっておりますぜよ」
拙者は、軽く深呼吸をした。さあ、ここからが勝負ぜよ!
「ですからね、明日から、1番早く来た組に、賞与を与えたいと思っているぜよ」
そこで、みんな、きょとんとする。組って、なんだ?という反応。よし、予想通りぜよ。
「組について、説明をするぜよ。えーっと、この我らが班を、3つの組に分けます。ほんとは、先に「組」があって、それを「班」に分けるのだけど、まー、そのへんの呼び方については大目に見てくだされ」
拙者は、持ってきた組み分け表を読み上げた。
「…というわけなので、今、名前を呼ばれた通り、整列してくだされ」
12人ずつ、3つの組が出来上がった。
「明日、いちばん早く全員が集合した組には賞与を与える。さらに、いちばん早く、作業を終わらせた組にも、賞与を与えるぜよ」
おーっ!という、どよめきが起こった。
「はい、では、今日の作業は終わりにします。えっ、もう終わりなのかって?うん、組み分けしたから、終わりぜよ。あ、でも、働きたい人は働いて行ってもいいぜよ。その分、明日早く終わるもんね?そしたら賞与は、その組のものぜよ、いひひ」
皆は、一目散に走って行って、作業に取り掛かった。
「ふう、うまく行ったぜよ」
【写真】乙女宛
吉井勇の祖父が、何かと世話をしたという鹿児島への「竜馬とお竜」の新婚旅行。乙女姉さんへ、霧島山登山の事を述べている。(絵入り)
拙者、昨日、作業を休みにして、この段取りを考えていたのだ。台詞をばっちり頭に入れて、何度も練習した。
豊臣秀吉が、清洲城の壁の修理を、「わしなら、3日で出来る」と、織田信長に言って、実際に3日で終わらせた、という逸話があるが、そのとき用いたのが、「いくつかの組に分けて競わせる」という方法だった。作業は、この手に限る。
ところで、賞与なんか出せるのかって。うん、じつは、この仕事、前にも書いたが、日給制なので、1日にどれだけ働いても報酬は同じなのだ。だから、なるべくゆっくりサボって、時間をかけて日数を稼いで働いた方が、雇われた側は都合がいいという仕組みになっている。
拙者は今、14日分の給料を、総監督から預かっている。もし作業を10日間で終わらせると、4日分の給料が浮く。この浮いた給料を賞与にまわすのだ。
すでに拙者の班は、4日サボっている。ふふふ、計算どおり…、というのは、嘘なのだが(思いつきです、はい)、ま、そのへんのことは、島田さんにも話してあるから、なんとかなるだろう。
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[ブログ・フォーカス]
吉井勇の「四万十川百人一首」は、『
山ふかく数里のあひだ人に会わず・・・』という、四万十川源流を訪れた時の歌です。では、何故、吉井勇は、人影もない深山幽谷が続く、四万十川の源流まで旅したのでしょうか・・・[
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【写真】吉井勇氏
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[歴史探訪:四万十川と吉井勇]
■吉井勇と坂本龍馬と四万十川と・・・
吉井勇の祖父は吉井幸輔(友実)、鹿児島出身で、西郷隆盛と親しかったと云います。坂本龍馬と西郷隆盛を引き合わせたのは吉井幸輔と云われています。
また、池田屋事件のあと、竜馬は「お竜」を連れて、日本で最初の新婚旅行に鹿児島の霧島へ行ったエピソードは有名です。そのときに鹿児島へ招いたのも、また、鹿児島で、何かと面倒を見たのも、吉井幸輔です。
そのような事から、吉井勇は坂本龍馬のことを、幼少の時から祖父に聞かされ、尊敬とともに親近感を持っていた、と思われます。
東京で身も心も疲れ果てたとき、土佐へ居寓する心境になったのは、「土佐は龍馬のふるさと・・・」という事があったのかもしれません。
吉井勇が、「なぜ?四万十川源流への旅を・・・」の謎解きも、そのあたりにヒントがあるような気がします。
吉井勇の歌碑は、高知県に9基(他に香北町猪野々に15基)ありますが、四万十川源流の碑はありません。また、坂本龍馬の歌を数多く詠んでいますが、竜馬の歌碑もありません。
鹿児島の霧島温泉では、『竜馬が新婚旅行に来た』という歴史的事実を、見事に「地域おこし」に繋げています。一方、高知の四万十川には、『竜馬が河川工事に来た』という歴史的事実がありますが、銅像はもとより、その記念碑のひとつもありません。
歴史的事実は作り出すことは出来ないもの。大事にしたいし、それを地域おこしに繋げると、奥の深い「地域づくり」が可能です。
吉井勇の竜馬を詠んだ短歌のひとつ。
新しき龍馬出でよと叫ぶごと一万の紙おのづから鳴る
(「一万の紙」とは、高知新聞の1万号を指し、これを記念しての祝歌です。)